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チュニジア旅行記11 | day3‐4 日帰りで世界遺産ドゥッガ遺跡

チュニジア ドゥッガ遺跡 個人旅行 世界遺産

お正月休みのチュニジア旅行、3日目に訪れたドゥッガ遺跡。朝早く起きれば日帰りでもしっかり堪能できる!この記事を見ながら行けばガイド無しでも大丈夫。 

 

ドゥッガ遺跡の紹介も山場へ到達。残りはこの記事で一気に紹介したい。

長いので分割しようか迷ったけど、ドゥッガ遺跡訪問を計画中の人にとっては1つの記事で出来るだけたくさん情報がある方が役立つと思って最後まで載せることにした。

行き方や、主要ポイントから少し離れた場所の紹介は前回までの記事で確認してほしい。

前回までの流れ

(1)チュニスからドゥッガ遺跡への行き方

チュニジア旅行記8 | day3‐1 チュ二スからドゥッガ遺跡へバス移動 - タビィ旅ブログ

(2)ドゥッガの気候と服装&遺跡巡り1

チュニジア旅行記9 | day3‐2 日帰りで世界遺産ドゥッガ遺跡 - タビィ旅ブログ

(3)ドゥッガ遺跡巡り2

チュニジア旅行記10 | day3‐3 日帰りで世界遺産ドゥッガ遺跡 - タビィ旅ブログ

ドゥッガ遺跡地図

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ドゥッガの中心地

キャピトル Capitole

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北アフリカで最も保存状態の良いローマの寺院の1つ。アテネのパルテノン神殿みたい。

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6本の縦溝がついたコリント式(※)の円柱がこの神殿を支えている。柱の高さは約8mで砂岩で出来ている。

※コリント式(コリントしき)は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、ドーリア式、イオニア式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる

マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの両皇帝に捧げられたものだそうだ。

ちなみに、アウレリウス皇帝の彫像の頭部はバルドー博物館で見ることができる。

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鳩がたくさんいてひっきりなしに飛び回っている。

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神殿には3つの聖室である壁龕(※)があって、ジュピター・ジュノー・ミネルヴァの3神が祀られていたらしい。真ん中には6mほどのジュピター像があったそうだ。

※壁龕=へきがん 彫像,花瓶,噴水などを置くために,壁をえぐって造られた凹状の部分。古代ローマ建築でとくに盛んに造られた。

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間違いなくドゥッガ遺跡の見どころの1つ。 

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キャピトルの西側に向かう階段を降りると、大きな広場のような場所がある。

フォルム Forum(公共広場)

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キャピトルの西側には公共広場であるフォルムがある。

フォルムは35本の円柱で囲まれていたけど、今は柱頭の部分しか残っていない。

540年にビザンチン勢力によって要塞化され、その時の壁も残されている。


少し残った彫刻。

 

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35本も円柱が建っていったなんてすごいし、今は柱は無いとはいえ、こんなのが残っていることもすごい。

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風の広場 Place des Vents

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フォルムとは反対側、キャピトルの東側にある広場。

以下、案内板の説明。宗教的で理解が難しい。上の図を見ながら読むとわかりやすいかも。

180~192年の間に建てられたこれらのモニュメントは現地で完全に識別できる。マーキュリーと市場を密接に結びつけている。宇宙の旅人の役割としてのマーキュリー①と、世界の四隅から商品を受け取る市場③の役割を象徴している。

③3つの同心円で構成されていて、2つの主な直行直径が内側の円から外側の円に描かれている。主要点から一方では北から南、西から東に繋がっている。2つの大きな円の間のスペースは24の区分が占めている。

舗石に12種類の風の名前が彫られていたことから「風の広場」と言われた。

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図にある円が今も残っている。文字も!

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マーキュリー神殿

風の広場の北側にはキャピトルと並ぶ形で180~190年に建てられたマーキュリー神殿がある。風の広場の図の①がマーキュリー神殿だ。

▼写真右側半分の辺り 

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近くにあった彫像。

頭部が無くなっていて、こんな風に写真が撮れる。

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▲左に見える壁は小さなモスク。

市場 Marche

マーキュリー神殿と風の広場と共に180年~192年の2世紀後半まで完成せず装飾されていた。現在の知識に基づくと、この市場はローマアフリカでもっとも古い市場の1つだ。東側と西側に10店舗が並んでいた。

北側にも店が並んでいたけど、2世紀の終わりに倒壊し、市場の柱廊玄関に置きかえられた。広場のスペースは高品質で比較的高価な製品が販売された(肉、魚、調理済食品など)

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モザイクがうっすら見える。綺麗なものが見たい場合はやっぱりバルドー博物館に行くべし。

コンコルディア神殿 Temple de Concordia

キャピトルから南西に2本の柱が見える。これは128年~138年に建てられたコンコルディア神殿跡。

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▲柱のある入口から中へ入るとこんな感じ。高台で見晴らしが良く、360度見渡せる。

Dar El Acheb

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フォルムから南へ階段を下りて行くとダールエルアチェブと呼ばれる場所がある。

入口をくぐって中へ入るとこのような感じで、他の場所よりもかなり整然としている。

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四角い入口の中にキャピトルを入れて写真を撮影できることから、撮影の人気スポットでもある。

▼人気の撮り方を絶妙に外す技術をご覧あれ

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日本のガイドブックには「薬草商の家(ダールエルアチェブ)」と書かれている。

ここは何だったのか、過去複数の説が唱えられていて、現地ガイドの説明も人に寄ってまちまちだし、ネットでも色んな説が出てくる。

結局なんやねん、というと、神殿だ。祀られた神様は不明。

Dar El Acheb(ダールエルアチェブ)というのは、かつてそこに住んでいたアラブ人家族の名前にちなんでいる。

チュニジアが国としてここを購入するまで、この場所が元々何だったのか特定が難しく、浴場、奴隷市場、または聖域、と色んな説があった。

現在はセラ(※cella)の痕跡が中庭の裏側で確認されたため、神殿だったという仮説が裏付けされている。

※ギリシアやローマの神殿で、周囲の列柱廊部分から壁によって区別された、神殿の本体を指すラテン語

 

何なのかは、現地の案内板にしっかり説明が書かれている。

以下、撮影した案内板写真から文字起こし。

The deity to whom the temple was dedicated is not known. The current neame given to it is the family who lived therein, until the building was bought by the Tunisian state.

The identification of this monument has always been accompanied by hesitation. It was alternately believed to be a bath, a slave market or a sanctuary. The latter hypothesis is confirmed today, since the traces of a cella have been recognized at the back of the courtyard. The courtyard was surrounded by a portico on three sides. A frieze other portico included a long inscription situated the construction date in 163-166,during the co-reign of Marcus Aurelius and Lucius Verus.

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とある「奴隷市場」説では、”門をくぐって広場に入ると、中央に石畳の通路があり、芝生が植えられた4か所の四角い区画がある。奴隷が入れられた檻がここに置かれていたらしい”と言われていた。

案内板によると、中庭は三方を柱廊玄関に囲まれていて、その柱廊玄関のフリーズ(※)には163年~166年の建設日を含む長い碑文が残されていた。これはMurcus AureliusとLucius Verusの共同統治時代である。

※〔古典建築 の〕フリーズ◆エンタブラチュア(entablature)のコーニス(cornice)とアーキトレーブ(architrave)の間の水平な帯で、浮き彫りの彫刻を施すことが多い。◆天井のすぐ下の壁の、帯状の装飾。

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南をみおろすと、こんな景色。

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北東を見るとこんな感じ。

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テルス神殿 Temple de Tellus

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テルス神殿は、ドゥッガで最後に造られたものの1つ。

ガリエヌス皇帝の時代、261年に建てられた。

テルス(地球)は農業を守るローマの女神。テルス寺院は、地方で彼女に捧げられた数少ない寺院の1つだ。彼女はローマのアラパキスオーガスタの有名なレリーフに描かれている。

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▲写真右下あたりにモザイクがあったと思われる痕跡がある。残念ながら図柄は消えてしまっている。

見おとさないように!リキニアの浴場 Thermes de Licinies

キャピトル、劇場に並ぶ見どころの一つだと思う。

キャピトルから南に見える大きな建物。

外観

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その名前が示すように、これらの浴場はCaracalla皇帝の治世中211年~21年に建てられた。市内の2つの水道橋のうち、1つによって供給された浴場。(おそらくAin el-hammam水道橋によるもの)

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外壁に彫刻がうっすら残っている。

構造説明

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▲供給はダールエルアチェブ神殿通り(1)から岩に切り込まれた地下通路を経由して行われた(2)。入口から2つの分岐があって、前庭に入ることが出来る(3)。入浴時間中は通路が照らされていた可能性が非常に高い(4)。

(5)公衆浴場(thermae=テルマエ)には、Gabiniiの宗教施設近くの通りから始まる階段を経由してアクセスできる。(The Gabiniiはドゥッガの非常に裕福な一族)ほとんどのインペリアルバスと同様に、軸性と対称性の原則を尊重されていて2つの対称的なルートがある。

建物東側

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建物西側

北東からリキニアの浴場を見たところ

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中庭

ここは実際に行くと感動する。大昔にこんな立派な造りの建物を作っていたとは。想像もつかない長い年月を遡って、古代ローマ人が自分が今立っているこの場所を歩いていて、入浴して、生活していたのだと考えるとやや興奮する。

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なんて立派な建物。豊かで繁栄した場所だったことと、現在の辺鄙な場所にある寂れた遺跡ということの対比が凄まじい。夢の跡か。

 

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モザイクや大きな彫刻が残る。

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Maison de Venus モザイク

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ドゥッガの初期の発掘調査中にで見つかった最高のモザイクは、チュニスのバルドー博物館に移された

人間や動物を表現せずに純粋に装飾的な目的を持っているものは、その場に残され、徐々に姿を消してしまった。近年見つかったモザイクはそのまま残されているけど、それらも消えるリスクがある。

風雨にさらされているので、きっと消えてしまうのが目に見えていてとても勿体ない。

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ローマ人の住宅からの景色。

ドゥッガは紀元2から4世紀が全盛期で、当時は1万人もの人々が住んでいたと言われている。めちゃめちゃ栄えてる。

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奥の方に見える塔のような建物はローマ時代以前のもの。

リビコ・プュニック廟

ローマ時代以前の建築物の中で残ったものの一つ。高さは21m。

ヌミディア人の首長アフェバンの墓として建てられた。カルタゴ語とベルベル語で書かれた碑文が発見されていて、その碑文を大英博物館にイギリス人が持ち帰ろうとしたときに塔全体が崩落。その後、フランス政府が再建した。

ローマ時代の生活が垣間見えて面白い場所

トリフォリウムの家

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入口に2本の柱が残るトリフォリウムの家。

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トリフォリウムというのは四葉のクローバーという意味で、中庭を囲んだ小部屋のひとつの名前だった。建物の本来の目的を隠すための名前で、実は公営の売春宿だった、という説がある。これは、陰茎のレリーフがあるためにそういう説があるのだが、一般に、これらのレリーフは厄祓い(不運を避けるため)の目的があり、町の門にも配置されているので、この説は眉唾物かもしれない。

 

案内板の説明は以下のとおり。

この家の名前は1階の大きな部屋、おそらくクローバーの形をしたダイニングルームにちなんで付けれた。3世紀の間に建てられたドゥッガ最大の家。2階建ての家で、1階に正面玄関がある。2本の柱とポーチが通りの舗装にある。ドアから廊下に直接アクセスでき、そこから21段の階段がある。

家は中庭があり、全体が漆喰のレンダリングで覆われ、柱廊玄関に囲まれている。部屋は全て小さい。

 

同じタイミングで居たカップルがじっくり自撮りしまくっていたので、あまり写真が撮れなかった。見た記憶では確かに小部屋がたくさんあった。

 

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写真はキクロプスの浴場の入口。小さな浴場が集まっていて、ここからメインストリートに出ることなくトリフォリウムの家に入ることのできる構造になっている。

キクロプスの浴場

▼これは浴場じゃなく手洗い場なのかな?よくわからないけど、保存状態抜群。

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この構造、現代の洗面所と比べても遜色ない。

石造りとリアルモザイク床でオシャレなぐらい。

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トイレ

公衆トイレはUの字形に連なっている便座に12人ほどが一斉に座って用を足すことができるもの。穴があいている所に座る。
ローマ人は長いコート(トガ)を着て、それによって隠しながら用を足していたらしい。足もとの溝に水が流れていて、それをすくってお尻を洗っていたらしい。

ちなみに男女共同だったとか。ちなみに下水設備も整っていた。

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モザイクが結構綺麗に残っている。 

 

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行ったら絶対試しに座りたくなるはず。当時は壁があって屋内だっただろうけど、今はものすごくオープンエアー。この野外トイレ、開放感があって、なかなか良さそう。

 

送迎ポイントへ向かう

約束の時間に近づいてきた。もうあと1時間くらいあれば、休憩しつつもう少し足を伸ばして端っこまで見て周っても良かったけど、帰りの長距離バスの時間から逆算しても時間設定としてはバッチリだったように思う

異国情緒漂う道中

サボテンには棘があるので動物たちが入ってこないように垣根として植えていたらしい。

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実物はかなり大きい。

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1月3日だというのに、物凄い晴天。カンカン照り。

どんな季節でも防止とサングラスは持っている方がいいよ。

お水は500mlだと心もとないので、1リットルくらい持ってる方がいい。

***

遺跡の詳細な説明をまとめるのに苦労した。より正確な情報はどれか、と探す以前にそもそも情報がすごく少ない。いつか誰かが行くときにこのページが役立てば良いな。

 

次の記事は、題して「ドゥッガからチュニスに帰れない危機!?」

チュニジア旅行で1番困惑した、テブルスークからチュニスまでの交通手段について。